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2008年11月 アーカイブ

2008年11月08日

西正面の状況

連軍ではザバイカル戦線、関東軍では第3方面軍がこの地域を担当していた。日本軍は9個師団、3個独混旅団、2個独立戦車旅団基幹に対し、ソ連軍は狙撃28個、騎兵5個、戦車2個、自動車化2個各師団、戦車、機械化旅団等18個という大兵力であった。一方方面軍主力は、最初から国境のはるか後方にあり、開戦後は新京?奉天地区に兵力を集中しこの方面でソ連軍を迎撃する準備をしていたため、本格的な交戦は行われなかった。逆にソ連軍から見ると日本軍の抵抗を受けることなく順調に前進できた。

第3方面軍は既存の築城による抵抗を行い、ゲリラ戦を適時に行うことを作戦計画に加えたが、これを実現することは、訓練、遊撃拠点などの点で困難であり、また機甲部隊に抵抗するための火力が全く不十分であった。同方面軍は8月10日朝に方面軍の主力である第30軍を鉄道沿線に集結させて、担当地域に分割し、ゲリラ戦を実施しつつソ連軍を邀撃しつつも、第108師団は後退させることを考えた。このように方面軍総司令部が関東軍の意図に反して部隊を後退させなかったのは、居留民保護を重視することの姿勢であったと後に第3方面軍作戦参謀によって語られている。関東軍総司令部はこの決戦方式で挑めば一度で戦闘力を消耗してしまうと危惧し、不同意であった。ソ連軍の進行が大規模であったため、総司令部は朝鮮半島の防衛を考慮に入れた段階的な後退を行わねばならないことになっていた。前線では苦戦を強いられており、第44軍では8月10日に新京に向かって後退するために8月12日に本格的に後退行動を開始し、西正面から進行したソ連の主力である機甲部隊は各所で日本軍と遭遇してこれを破砕、撃破していた。ソ連軍の機甲部隊に対して第2航空軍(原田宇一郎中将)がひとり立ち向かい12日からは連日攻撃に向かった。攻撃機の中には全弾打ち尽くした後、敵戦車群に体当たり攻撃を行ったものは相当数に上った。

ソ連軍は8月13日には牡丹江を占領し、16日には勃利を占領した。ソ連進攻当時国境線に布陣していたのは第107師団で、ソ連第39軍の猛攻を一手に引き受けることとなった。師団主力が迎撃態勢をとっていた最中、第44軍から、新京付近に後退せよとの命令を受け、12日から撤退を開始するも既に退路は遮断されていた。ソ連軍に包囲された第107師団は北部の山岳地帯で持久戦闘を展開、終戦を知ることもなく包囲下で健闘を続け、8月25日からは南下した第221狙撃師団と遭遇、このソ連軍を撃退した。関東軍参謀2名の命令により停戦したのは29日のことであった。

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2008年11月11日

霊公の擁立

同年、襄公が没する。太子の夷皋がまだ幼かったので群臣は襄公の弟を晋公に立てるべきだと話し合った。趙盾の意見により、秦に仕えていた公子雍を呼び戻して晋公とすることになった。所が狐射姑は陳にいた公子楽を呼び寄せて晋公にしようとしていたので趙盾はこれに刺客を放って公子楽を殺し、狐射姑は亡命した。しかしこのことで反対派の動向を恐れるようになった趙盾は考えを変えて夷皋を晋公に立てることにし、秦軍の護衛を受けてやってきた公子雍を軍を出して追い払った。この時に公子雍を迎えにいっていた先蔑と士会は秦へ亡命した。秦は当然晋に対して不快感を持ち、攻撃してきたがこれは撃退した。しかし趙盾は士会が秦にいることを憂えて策を使ってこれを呼び戻した。

翌年、夷皋は即位して霊公となる。当初は趙盾の言うことをおとなしく聞いていた霊公だが、長ずるに従い趙盾に逆らうようになり、趙盾が諌めても聞こうとしなかった。趙盾と霊公の対立は日に日に深まり、紀元前607年に霊公は趙盾を殺すために鉏麑と言う刺客を送った。

鉏麑は趙盾の屋敷にやってきたが、趙盾の身の修め方を見て趙盾を殺すことが正しくないと考え、自ら頭を木に打ち付けて自殺した。霊公はそれでも諦めず、宴に刺客を潜り込ませて趙盾を殺そうとした。趙盾は人の助けによりこれを逃れ、亡命した。趙盾のいとこの趙穿は趙盾に対する扱いに怒り、霊公を殺した。この時に趙盾はまだ国境を出ておらず、慌てて晋の宮殿に戻り、襄公の弟の公子黒臀を迎えて晋公に立てた。これが成公である。

しかし霊公を殺したことに関して太史(史官)により晋の国史に「趙盾、その君を弑す」と書かれてしまった(弑すは目上の人間を殺すこと)。

趙盾は太史に「自分が弑したわけではない」と抗議したが、太史は霊公が殺された後、国境を出ずに趙盾は帰ってきた。すなわちその時点で趙盾はまだ晋の正卿であるのだから反逆者である趙穿を誅する義務があった。それをしなかったのだから自らが弑したのと同じだと答えた。この後は趙盾はこのことに関して一切反論しなかった。

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2008年11月13日

対外戦争を統一指揮

ローマは建国以来、勢力拡大のための戦争を繰り返しており、国王を排除して共和政が開始されてからもその国家方針に変更はなかった。対外戦争を統一指揮で遂行するため、独裁官がたびたび必要とされた。初めての独裁官が任命されたのは紀元前501年であり、この時ローマはサビニ族の脅威にさらされていた。しかし、ローマの地中海における覇権が確立したポエニ戦争以降は、独裁官が必要とされるほどの危機的状況は訪れなかった。

しかしながらローマの支配地域が拡大するにつれて、富者と平民の貧富の差が拡大してきた。グラックス兄弟は護民官の立場で平民の側に立った改革を行おうとするが、元老院(貴族)側の反発によって失敗する。ティベリウス・グラックスは志半ばにして反対派に殺されてしまい、後を継いで改革を行おうとしたガイウス・グラックスは国家の敵とされてしまい、逃げ場所を失い自殺する。それ以来ローマでは閥族派と民衆派が対立し、共和政は危機を迎える。

紀元前81年、民衆派を壊滅させローマを支配下に置いた閥族派のルキウス・コルネリウス・スッラが無期限の独裁官となった。このような終身の独裁官の職は、それまでの6ヶ月間の独裁官とは異なった性格のものとして扱われている。しかしスッラは様々な方法を使って元老院を強化すると、あっさりと辞任する。あくまで独裁制の芽を摘むのがスッラの目的であり、そのためやむを得ず独裁者となったのであり、目的達成の際は自ら独裁官の座を降りるのが必然であった。

しかしながら、その後スッラとは全く反対の立場であるガイウス・ユリウス・カエサルもまた、スッラを模倣し終身独裁官となり、共和政を破壊しローマは帝政樹立へと大きく踏み出した。その後カエサルは暗殺され内戦が勃発したものの最終的にはカエサル派が勝利を収めた。最後に同じカエサル派でもライバル関係にあったアントニウスを下したアウグストゥスにより、実質上共和政は終焉を迎えた。

カエサルの暗殺後、時の執政官マルクス・アントニウスによって元老院で廃止の動議が出され廃止された。また全権を掌握したアウグストゥスに対して元老院からスッラやカエサルのような意味で独裁官の職が与えられようとしたがアウグストゥスはこれを拒否し、ローマの歴史からこの職は消えた。アウグストゥスは建前上は独裁官のような職には就かなかったものの、実際には古代ローマの独裁者として君臨し、自らの血統者にその地位を継承させた。帝政ローマの始まりである。

アカ ココ 青春 ここ ハリ 赤い この指 この手 赤い こんな 赤い コンビ 赤い さあ サイ サイ 素直 サウ 小さな 草笛 サマ 蒼い 赤い ざま 息子 サン サン 続く サン 太陽 しあわ 打上 しあわ 大き じい ジェラ 大花 シェ 青い 大事 シティ 大切 ジパン 炭酸 じゃ ジュリ 地上

2008年11月17日

火罪(火あぶり)

火付=放火」は多くの人の命を奪ったり大量の焼出し者をだしたので、特に重罪とされた物の一つである。このため火付は死刑の中でも特に重い火罪(火あぶり)をもって罰せられていた。さらには親族や雇い主に対しても連帯責任(連座)が適用される場合もあった。

また失火でも出火元は罪に問われ、特に大火を引き起こした者は死刑や島送り、追放という刑が科せられた。

このような重い罪になることを背景として、火付けはほとんどが寺社を標的とした。これは寺社からの出火は町奉行ではなく寺社奉行が捜査責任者となるためである。寺社奉行は捜査能力が低く、逮捕されにくかった。

また、大火後は再建需要で景気が良くなるため火付けは不況期に後を絶たなかった。

長い 七つ 誕生 オシ 社会 おし おばあ 秋風 おま 君恋 週に おも 出逢 おも 春の オリー オレン 春を お月 春一 お助 お天 暑い カーニ ガール 小さ カウ 君が かえ 小悪 かげ 少年 カシス かすみ 笑顔 かぜ 鐘を カモ 上級 ガラ ガラス カルメ 心の ガン 心の 受話


2008年11月21日

日本のサブカルチャー分野

日本では『封神演義』『西遊記』などの作品に材を取った小説、漫画、アニメ、コンピューターゲームなどのサブカルチャー作品に美少年キャラクターとして登場し、おたく層から人気を集めている。

特に強い影響力を持つのは安能務翻案の『封神演義』である。 ここでは「なたく」という名前で登場し、魂魄がなく太乙真人の宝貝を魂魄のかわりに誕生。宝貝の能力で生み出されたいわば人造人間とされる点が原作と異なる。唯一天界で殺生を許されたもの。安能版を原作としている藤崎竜の漫画においても「ナタク」と表記される。

安能版封神演義の物語や設定の多くは安能のオリジナルで、原典には忠実でないと批判される。 しかし日本のサブカルチャー分野に於いては「封神演義もの」のひとつの原典であり、以上の設定も他作品に多く取り入れられている。この辺りの事情は「西遊記もの」に於けるテレビドラマ版西遊記に似ている。

『新機動戦記ガンダムW』『新機動戦記ガンダムW Endless Waltz』では、登場人物張五飛が乗機シェンロンガンダム(後半はアルトロンガンダム)を思い入れを込めて「ナタク」と呼んでいる。EW版アルトロンのガンプラは「ガンダムナタク」という商品名で発売されている。

あかね あの頃 あの坂 あの時 幸せ あの日 口紅 広い あまい 紅と あま 合鍵 あや アリと 砂浜 あり 天使 最後 アルバ 最高 アル 最終 あわ あんた 桜の いつ 雪に 桜の いつ 桜咲 喧嘩 いな 散歩 いろ インス 珊瑚 ウェ 思い うぐ 新世界 時の うさ うち エスコ 時間 エト 自転 オー

2008年11月26日

北アフリカでの最初の戦闘

北アフリカでの最初の戦闘では、ティーガーIは開けた地形で連合国戦車を圧倒できた。しかし機械的欠陥により同時に使用できた数はごく少なかった。レニングラードでの経験をなぞるように、少なくとも一輌のティーガーIはイギリス軍の6ポンド対戦車砲により撃破された。

ティーガーIは過大な重量により渡れる橋は限られていたし、地下室のある可能性のある建物を横切ることは危険だった。もう一つの弱点は油圧により旋回する砲塔の回転速度が遅いことだった。砲塔は手動で動かすこともできたが、ミリ単位の補正に使用された程度だったろう。

ティーガーIの最高路上速度は38km/hで、好敵手のIS-2の37km/hと似たようなものだった。共にほとんどの中戦車よりかなり低速だった。ティーガーIの初期型の最高速度は45km/hほど出たが、1943年秋にエンジンが改造された際に最高速度は38km/hに落とされた。ティーガーIはまた常に信頼性の不足に悩まされた。ティーガーIの部隊は故障により定数不足のまま戦闘に参加することが多く、部隊での路上行軍ではほとんど常に故障によって脱落する車両が出た。また燃費が悪く、航続距離も短かった。履帯幅の広さが幸いし、重戦車にしては驚くべきことに、ソ連のT-34を例外として大半の戦車より面積当たりの接地圧が低かった。

ティーガーIの装甲と火力は全ての敵にとって恐怖の的だった。防御戦では、低機動力はあまり問題にならない。生産数と遭遇確率を考えればパンターの方が連合軍戦車部隊にとってより大きな脅威だったが、ティーガーIは連合軍の兵士により大きな心理的影響を与え、「ティーガー恐怖症」を引き起こした。連合軍兵士はティーガーを見かけるとしばしば立ち向かうよりも逃げ出したが、シュルツェン付IV号戦車のようにティーガーに似ているだけの戦車に対しても同様のことが起こった。ノルマンディー作戦では、1輌のティーガーをやっつけるのに側面や背面装甲を狙うため4-5輌のシャーマンが必要であった。ソ連のT-34もティーガーを恐れた。それはまるで以前ドイツのIII号戦車がソ連の重戦車を恐れたのと同じであった。連合軍側で受け入れられた戦術は一団となってティーガーに当たることであった。一輌がティーガーの注意を引き付けている間に、他が側面や背面を狙う。弾薬や燃料はスポンソンに搭載されているため、側面を貫通すれば撃破できることが多かった。しかしこれはリスクのある戦術であり、しばしば連合軍側は複数の戦車を失った。ティーガーの部隊を撃滅するには実に巧妙な戦術が必要だった。

銀星 坂道 あさ あじ 空に あした 空想 幸せ アタ 空飛 あたし 偶然 あたた あたたか 君に あたたか 君の アダ 黒薔 君の ダイ あたら 君を あたら あつい 決断 あとの 月光 流星 あなた 月光 あなた 月光 あなた あなた 見え あの雲 古い あの雲 故郷 あの夏 鼓動 あの夏 あの海 好奇 あの空 街路樹 幸せな あの頃 幸せ


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