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霊公の擁立

同年、襄公が没する。太子の夷皋がまだ幼かったので群臣は襄公の弟を晋公に立てるべきだと話し合った。趙盾の意見により、秦に仕えていた公子雍を呼び戻して晋公とすることになった。所が狐射姑は陳にいた公子楽を呼び寄せて晋公にしようとしていたので趙盾はこれに刺客を放って公子楽を殺し、狐射姑は亡命した。しかしこのことで反対派の動向を恐れるようになった趙盾は考えを変えて夷皋を晋公に立てることにし、秦軍の護衛を受けてやってきた公子雍を軍を出して追い払った。この時に公子雍を迎えにいっていた先蔑と士会は秦へ亡命した。秦は当然晋に対して不快感を持ち、攻撃してきたがこれは撃退した。しかし趙盾は士会が秦にいることを憂えて策を使ってこれを呼び戻した。

翌年、夷皋は即位して霊公となる。当初は趙盾の言うことをおとなしく聞いていた霊公だが、長ずるに従い趙盾に逆らうようになり、趙盾が諌めても聞こうとしなかった。趙盾と霊公の対立は日に日に深まり、紀元前607年に霊公は趙盾を殺すために鉏麑と言う刺客を送った。

鉏麑は趙盾の屋敷にやってきたが、趙盾の身の修め方を見て趙盾を殺すことが正しくないと考え、自ら頭を木に打ち付けて自殺した。霊公はそれでも諦めず、宴に刺客を潜り込ませて趙盾を殺そうとした。趙盾は人の助けによりこれを逃れ、亡命した。趙盾のいとこの趙穿は趙盾に対する扱いに怒り、霊公を殺した。この時に趙盾はまだ国境を出ておらず、慌てて晋の宮殿に戻り、襄公の弟の公子黒臀を迎えて晋公に立てた。これが成公である。

しかし霊公を殺したことに関して太史(史官)により晋の国史に「趙盾、その君を弑す」と書かれてしまった(弑すは目上の人間を殺すこと)。

趙盾は太史に「自分が弑したわけではない」と抗議したが、太史は霊公が殺された後、国境を出ずに趙盾は帰ってきた。すなわちその時点で趙盾はまだ晋の正卿であるのだから反逆者である趙穿を誅する義務があった。それをしなかったのだから自らが弑したのと同じだと答えた。この後は趙盾はこのことに関して一切反論しなかった。

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2008年11月11日 10:09に投稿されたエントリーのページです。

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