ローマは建国以来、勢力拡大のための戦争を繰り返しており、国王を排除して共和政が開始されてからもその国家方針に変更はなかった。対外戦争を統一指揮で遂行するため、独裁官がたびたび必要とされた。初めての独裁官が任命されたのは紀元前501年であり、この時ローマはサビニ族の脅威にさらされていた。しかし、ローマの地中海における覇権が確立したポエニ戦争以降は、独裁官が必要とされるほどの危機的状況は訪れなかった。
しかしながらローマの支配地域が拡大するにつれて、富者と平民の貧富の差が拡大してきた。グラックス兄弟は護民官の立場で平民の側に立った改革を行おうとするが、元老院(貴族)側の反発によって失敗する。ティベリウス・グラックスは志半ばにして反対派に殺されてしまい、後を継いで改革を行おうとしたガイウス・グラックスは国家の敵とされてしまい、逃げ場所を失い自殺する。それ以来ローマでは閥族派と民衆派が対立し、共和政は危機を迎える。
紀元前81年、民衆派を壊滅させローマを支配下に置いた閥族派のルキウス・コルネリウス・スッラが無期限の独裁官となった。このような終身の独裁官の職は、それまでの6ヶ月間の独裁官とは異なった性格のものとして扱われている。しかしスッラは様々な方法を使って元老院を強化すると、あっさりと辞任する。あくまで独裁制の芽を摘むのがスッラの目的であり、そのためやむを得ず独裁者となったのであり、目的達成の際は自ら独裁官の座を降りるのが必然であった。
しかしながら、その後スッラとは全く反対の立場であるガイウス・ユリウス・カエサルもまた、スッラを模倣し終身独裁官となり、共和政を破壊しローマは帝政樹立へと大きく踏み出した。その後カエサルは暗殺され内戦が勃発したものの最終的にはカエサル派が勝利を収めた。最後に同じカエサル派でもライバル関係にあったアントニウスを下したアウグストゥスにより、実質上共和政は終焉を迎えた。
カエサルの暗殺後、時の執政官マルクス・アントニウスによって元老院で廃止の動議が出され廃止された。また全権を掌握したアウグストゥスに対して元老院からスッラやカエサルのような意味で独裁官の職が与えられようとしたがアウグストゥスはこれを拒否し、ローマの歴史からこの職は消えた。アウグストゥスは建前上は独裁官のような職には就かなかったものの、実際には古代ローマの独裁者として君臨し、自らの血統者にその地位を継承させた。帝政ローマの始まりである。
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