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2009年03月 アーカイブ

2009年03月07日

ベインブリッジ (原子力ミサイル巡洋艦)

ベインブリッジ(USS Bainbridge, DLGN-25/CGN-25)は、アメリカ海軍のミサイル巡洋艦。当初、嚮導ミサイルフリゲート(DLGN)として計画されたが、1975年に、ミサイル巡洋艦に改められた。本艦はリーヒ級ミサイル巡洋艦の主機を原子炉に変更した艦で、海軍が運用する艦艇の中で原子力機関を使用する最小の艦艇であった。

艦歴
ベインブリッジはマサチューセッツ州クインシー、ベスレヘム・スチール社のフォアリバー造船所で建造。1962年に就役し、1963年2月までにカリブ海で慣熟航海を行った。翌年、原子力空母「エンタープライズ」(USS Enterprise, CVN-65)、原子力ミサイル巡洋艦「ロングビーチ」(USS Long Beach, CGN-9)らと第1原子力機動部隊(Task Force 1)を編成し、7月31日からシー・オービット作戦に従事した。

1965年10月、ベインブリッジは第7艦隊のミサイル巡洋艦として11回目の航海で再び西太平洋から喜望峰をまわった。関係が悪化したベトナム近海に配置され、多数の作戦に従事した(ベトナム戦争)。ベインブリッジはレーダー・ピケット艦として航空母艦の前衛を担当し、捜索・救出作戦を行った。

6月に新しい母港であるカリフォルニア州のロングビーチに入港し、1966年から1967年、1969年、1970年、1971年、1972年から1973年と5回に渡ってベトナム戦争など極東で作戦に従事した。また、1970年にはインド洋にも航海した。

1967年から1968年にかけてベインブリッジはオーバーホール(解体検査)と最初の核燃料補給を実施した。1973年11月から極東での7回目の航海を行い、インド洋を通過してアラビア海まで入った。

ベインブリッジはオーバーホール、近代化改装など広範囲に渡る工事のため、1974年6月から1976年9月までドックに入渠した。1975年6月、工事中にフリゲートから巡洋艦(CGN-25)に類別変更された。工事完了後は第7艦隊に配置され、1978年1月から8月まで担当地域内の日本、韓国、タイ、シンガポール、オーストラリアなどを訪れた。1979年から1980年、1981年、1982年から1983年、と西太平洋海域共同調査(WestPAC)のツアーを3回こなした。また、その期間中にインド洋およびアラビア海で作戦行動も行った。1982年にベインブリッジはマージョリー・ステレット戦艦基金賞を受賞した。
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年から1985年までベインブリッジは最後の核燃料を補給するオーバーホールを行い、スタンダードミサイルやCIWSなどの火器が増設された。その後、太平洋を去って、大西洋艦隊に編入され、パナマ運河を通過した。1986年から1987年までのカリブ海における麻薬密輸のパトロールを手始めに、1988年から1989年に紅海、ペルシャ湾で作戦行動に従事、1991年から1992年、地中海リビア沖で攻撃作戦に従事した。

1994年、大西洋艦隊の海上部隊旗艦となったが、その任務を最後に1995年10月、予備役の保管船としてモスボール状態となり、1996年9月に退役した。

2009年03月23日

1次車 3501F - 3504F

1991年より犬山線などに暫定的に投入されていた100系200番台が本来の使用目的である名古屋市交通局(名古屋市営地下鉄)鶴舞線への直通運用に充当されることになったため、その代替用として1993年6月から7月にかけて4本16両が製造された。当初はまだ3100系が製造されておらず本系列自体も車両数が少なく柔軟な運用が組みにくかった[12]ため、急行にはあまり運用されず普通列車を中心に運用されていた。
このグループのみ6000系などと同じ従来型の列車無線アンテナを装備する。なお、本系列の全体定員は座席を切り詰めたことにより100系[13]よりも僅かに多くなっている。
2次車 3505F - 3511F
1994年3月から4月にかけて7本28両が製造された。1次車と基本的に同じ仕様であるが、このグループより列車無線アンテナの形状が変わり以後の新造車両ではこのタイプのものが採用されている。
3509Fの岐阜方先頭車のク3609は1995年9月より試験的に折り畳み式補助椅子を設置し翌年の増備車で採用された他、1997年には3509Fの他の3両と3508Fにも設置された。また、3509Fは2000年に本系列としては最初に英字併記方向幕に交換された。このグループの落成により、当時新岐阜→東岡崎間[14]に平日の朝に1本だけ残っていた全車一般席特急[15]の運用にも就くようになった。
3次車 3512F - 3521F
1995年4月に3512F - 3517F、6月に3518F - 3521Fの計10本40両が製造された。このうち3517Fまでは2次車までと同様、制御装置、主電動機ともに東洋電機製のものを装備するが、3518Fと3519Fは制御装置に東芝製、主電動機に三菱製のものを、3520Fと3521Fは制御装置、主電動機ともに三菱製のものが新たに採用され、変調音が少々変化しているほか、1995年以降からの東洋電機製造のVVVFインバータ装置などの電装品には、会社名を表すTDK刻印ロゴから、プレート式のものに変更となった。
この増備で、広見線新可児 - 御嵩間や尾西線新一宮 - 森上間など支線にも入線するようになった。ちなみに1995年の名鉄での新製車両は本系列のみでクロスシート車の新製が皆無であった。この3次車導入により、6000系16両が瀬戸線に転属、3780系の一部が代替廃車された。
4次車 3522F - 3526F
1996年2月に6本24両が製造された。ク3609でテストされていた折り畳み式補助椅子が本格採用され、各車両に8名分ずつ設置された。またドアチャイムが設置され、以後の新造車で標準装備となったほか、6000系などの一部の車両にも改造で取り付けられた。さらには冷房装置を低騒音型のものに、冷房装置などサービス機器に電力を供給するSIVをGTOサイリスタ方式からIGBT方式のものに変更した。
室内では天井中央部の高さが僅か1cmであるが高くなった。なお、全編成とも制御装置、主電動機ともに東洋電機製である。
5次車 3527F - 3534F
ブリザード キング スイート アクター タッパー フリーズ 国道日 コピー ノルウェー ケーワイ スラック コスト ナース デビル スレンダ スパナ てらつつき ジェイ メラノーマ オーイー フォトグ クラッチ テリト キンシバイ ムラサキ オブジェク フィニ スベリン ビーズ ピュア カナッペ プレーグ すりはく ベスビア レーム ひっす フライ スタート ション パルメ メション ヘルプ ハイブ ロスカット イカーゴ フロー マグノリ 小夜時雨 サモエード ナビテラ

1996年4月に8編成32両が製造された。
基本的に4次車と同じ仕様であるが、このうちの3529F - 3532Fでは制御装置に東芝製、主電動機に三菱製のものを、3533Fと3534Fでは制御装置・主電動機ともに三菱製のものを装備する。3534Fの豊橋方2両は落成時から1か月ほどの間、モノリンク式ボルスタレス台車が試用されていた。2008年1月時点ではク3534のみこの時とは別の密閉軸受式モノリンク台車を試験装着している。
上記4次車とこの5次車の増備により、6000系の5 - 8次車の中間車のみ12両の瀬戸線転属HL車全廃・旧800形営業運転終了・7300系の一部廃車といった動きがあり、名鉄の1500V線区での冷房化率は100%となった[16] 。さらに、6000系の豊橋駅への定期運用が消滅した[17]。
この増備をもって本系列の製造は終了し、1997年からの新製は下記の3700系となった。

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